「フレンドリーな文章の書き方」に関しての考えをまとめました。

目次

「文章を堅苦しくなく、親しみやすく書くのって難しすぎないか?」

そう思ったのが発端だった。文章に落とし込むと、どうしても押し付けがましく上から目線な文章になってしまう。そんなつもりは一切ないのだけれども。

ブログを構築したり、社内Wikiに記事を投稿したりと、知識を文章として残す機会に恵まれた。そして書いて気づく。冗長すぎる。押し付けがましいと。

例えば、システムの使い方を共有する記事についてもそうだ。AをしてBをしてCをする。注意点としてはDがある。という事実の羅列ですら、実際に書いてみると、自分でも見返したくないような気持になってしまう。

他のテーマでも同じようになる。「歴史は年齢幅問わず、話せるテーマだなあ」と思った経験も「歴史は、仲良くなるために覚えておいて損はない!」という押し付けがましい文章になってしまう。

意図があってそのような文章を書くなら問題ない。でも全くそんな意図もないんだ。それなのに気がつくと押し付けがましくなってしまう。もう嫌だ。文章なんて書きたくない

そんな中、ふと思いついた。自分の好きな文章を分析してみようと。自分が押し付けがましく感じないもの、そして「この人の書く文章は好きだな」と思えるような文章を。

幸い、今はChatGPTがある。壁打ちにはもってこいだろう。ChatGPTを使って好きな文章を分析しながら、自分でも書けるようになれば御の字だ。

ChatGPTちゃんに聞いてみた

良い文章を書くポイントを考えるためには、何もとっかかりがない状態だったが、そういうときはChatGPTに聞くに限る。ということで、次のような文章で尋ねてみた。

☺ぼく

以下の文章はテンポが良くフレンドリーで書き手の感情がうまく 表現された文章だと思う。これを別のテーマで再現するときに意識するポイントは何だろうか。

<– ここに僕の好きな文章を張り付ける –>

ものの10秒で回答が出る。さすがChatGPT。早い。

🤖ChatGPT

この文章の特徴はテンポの良さとフレンドリーさです。別のテーマで再現する際に意識すべきポイントは以下のようになります:

テンポの良さ:文章のリズムやペースを保ちながら、読み手の興味を引き付けるような表現を心掛けましょう。短い文やフレーズを使ってスピーディに進めることで、読みやすさとテンポの良さを実現します。

軽快な表現:親しみやすい言葉遣いやカジュアルな表現を取り入れ、読者に対してフレンドリーな印象を与えるようにします。タメ口やカジュアルな表現はコミュニケーションをより身近に感じさせます。

主観的な感情表現:書き手自身の感情や経験を率直に表現することで、読者に対して共感を呼び起こす効果があります。自身の経験を交えることで、よりリアルな感じが伝わります。

具体的な表現:具体的なイメージや身近な例を挙げることで、読者が文章に入り込みやすくなります。わかりやすく具体的な言葉を用いることで、興味を持ってもらえるでしょう。

読者への呼びかけ:直接読者に向けて質問や呼びかけを行うことで、読者とのコミュニケーションを促進します。読者に対して参加を促すような表現を取り入れると良いでしょう。

ポジティブなアプローチ:ネガティブな表現よりもポジティブな言葉を選んで、楽しいや喜びを伝えることで、読者の関心を引きます。

これらのポイントを意識して、テーマに合ったフレンドリーな文章を再現することで、読者に親しみを感じさせ、興味を持ってもらえる文章を作成できるでしょう。

なるほど。まあ重要なポイントについては理解した。でも全然再現できる気がしない。僕は抽象化された内容を具体的に落とし込むのは苦手だ。最初は、具体例と紐づかないと全く頭に入ってこない。

というわけで続けて質問

☺ぼく

それぞれについてどの箇所が、該当するか引用してもらえますか?

🤖ChatGPT

テンポの良さ: 「最高においしかった。忘れられない幸せな夜になった」

軽快な表現: 「「おしゃれなディナーを食べてきた」というテーマで書けるかな?」

主観的な感情表現: 「とワクワクしながら考えてみた。」

具体的な表現: 「おしゃれなレストランのエントランスから入って、スタッフの笑顔に迎えられる。テーブルにはきらめくキャンドルと美しい食器が並び、料理の香りが鼻をくすぐる。」

読者への呼びかけ: 「この素敵なディナーの経験を共有したい人は、ぜひ読んでみてね!」

ポジティブなアプローチ: 「手痛い授業料といったが、普段経験できない希少な体験ができたのも事実である。やっておいてよかったと思う。」

抽象的だと思っていた内容が、より意味を持つようになったと感じた。文章の解像度が一気に上がった気持ちになった。 書き手が行動したり思ったりしたことをそのまま表現することが、フレンドリーさの肝なのだなあと納得した。主観といえば、「楽しかった」「面白かった」「怖かった」くらいの内容だと思っていたけれど、それだけではないようだ。

押し付けがましくない文章とはなんだろう?

また、僕は押し付けがましくなくメッセージ性の強くない表現が好きだ。そういった文章を書きたいと思っている。 もう一度分析してみようと思って再度質問してみた。

☺ぼく

「リーダーシップで求められること」という記事にある項目の一つを抜き出しました。「リーダーシップで求められることの一つは学習能力だ」というコンセプトから、次の文章を書いています。この文書は押し付けがましく上から目線に感じます。またあまり心に響きません。先ほどの文章と比較して、そう感じる理由はなぜですか?

リーダーシップを活用するためには、さまざまな知識を身につける必要があります。そのため、学習能力が求められます。

一応僕がイメージした上から目線の文章だ。これに対してChatGPTに回答をしてもらった

🤖ChatGPT

この文章が押し付けがましく上から目線に感じる理由は、以下の要素が含まれているためです:

  1. 命令口調や抽象的な表現:文章が「学習能力が求められます」と述べていますが、具体的な説明や例示がなく、どのように学習能力を発揮するべきかが明確に示されていません。また、表現も抽象的で、具体的なアクションや方法が提示されていません。

  2. 上から目線の言い回し:文章が「さまざまな知識を身につける必要がある」と述べていますが、具体的な背景や理由が説明されず、読者に対して何を学ぶべきか、どのような知識が必要かが明示されていません。

  3. 心に響かない表現:文章が冷たく抽象的な表現で記述されており、読者の共感や感情的な共鳴を引き起こす要素が欠けています。読者が直接的に関係性を感じたり、自身の経験に重ね合わせることが難しいため、心に響かない印象を与えています。

これらの要素が含まれることにより、文章が押し付けがましく上から目線に感じられ、読者の共感や理解を得るのが難しいものとなっています。先ほどの文章では、具体的な体験や自己省察、読者への共感を促す要素が取り入れられており、そのため心に響く文章となっていました。

なるほど。「自分を省みること」「共感が得られる具体的な体験を書く」ということが大切なのか。確かに、僕は文章を正確に伝えようとして客観的に書きがちだ。 僕としては、次のようなケースでは後者を書けるようにしたい。

  • 文章を正しく伝えようとして客観的に書く癖がある
  • 文章を正しく伝えようとして客観的に書きがちだ

つまり、主語が、「僕」にならないように書いてしまう。なんならこの文章も書き直している。手癖だと「主語が僕にならないように書いてしまうケースがある」と書いてしまう。「なる」「ある」で書き終えてしまう。

他にも「XXするために、XXした」などの表現も書いてしまう。行動の動機を書かないと正確に伝わらないと思ってしまうのだ。確かに一理あるとは思うが、冗長な文章となってしまう以上、避けておきたいと思う。

さらには、「XXXしたほうが良いだろう」という文章を書いてしまうのも改めたい。どこか客観性が含まれてしまっている。この文章だけ見ると、「そういうお前はどうしたいんだ!」と思っちゃうな。

他にもいろいろ思いついてしまう。単語に必要以上に形容詞を付けてしまうとか、正論を軸にしてしまいがちで、自分の経験を伝えようとしないとか。。。まあきりがないのでこのあたりにしておこう。

もっと「自分を主語」にした表現を意識しようなあ。こう書いている今でさえ、強く意識しないと客観性の方丸の文章になってしまう。なかなか元に戻りたいという気持ちは強いようだ。弾性力が高い。 「主観すぎる文章はよくない」と言われることもあるが、客観性の強い表現が多い今逆にいい塩梅になりそうに思えて仕方がない。